poet-enginners (詩人-技師)としてのアーティスト─VRが作り出す拡張された「私たち」: アーティストデュオ イッタ・ヨダ【後編】

Interview: Anna Kato

Edit: Kentaro Okumura

Art_________9.9.2021

ヴァージル・イッタとカイ・ヨダによるアーティストデュオ、イッタ・ヨダへのインタビュー。後編では、彼らが最新技術を取り入れる意図を尋ねていく。VRが提供する「拡張された自分」の感覚は、新しいストーリーへの接続を可能にする、と説明するカイ・ヨダ。いっぽうで、VRはあくまでパラレルな世界を作り出す「マテリアル」でしかないとも言い切る。その姿勢は後半に登場する「poet-enginners (詩人-技師)」という概念によって、より立体的な像を結ぶこととなった。

top image: Rendering of 3D simulation for Chronos Project, 2021-2022

何にも見えず「全く何にも見えないわけでもない」存在をつくる: イッタ・ヨダ【前編】

レジンやシリコンのように、ただVRがある

共同作業のしやすさのほかに、VRを使いはじめた理由はありますか?

最初はVRの「他者と同じ空間に居ながら、わざわざ自分だけの空間に入り込む」ところが嫌いだったのですが、それでもVRをはじめたのは、あるクロアチアの姉妹をインスタグラムで発見したことがきっかけです。当時、彼女たちは日本のアニメの影響も受けつつ、旧ユーゴスラビアやソ連といった、ある意味「1度壊れた」社会の中から作り上げられているのに、どこか優しい……そんなニュアンスのアニメーションを作っていました。天才かも知れない! とフォローしていたところ、クロアチアで1週間のVRレジデンスを行う告知を見つけて、アプライしたら通ったんです。

VR空間には、普段の世界と全く同じ構造がバーチャルに再現されます。だとしたら、私たちの彫刻のスキャンや3Dデータを投入すれば「同じ世界だけど、違う世界」──村上春樹『1Q84』に出てくる、月がふたつある世界のような感じでしょうか──に入ることができる。レジデンスで実際にVRのヘッドセットを付けたとき、そんなふうに気づいたんです。VR空間の彫刻には本物のような触覚があって、このレベルまで再現できているのかと驚きましたね。

また、テストプロジェクトを体験したときに、ダチョウのような鳥の中のポリゴン構造に入り込んで、そこから外を見ることができたんですが、これにもびっくりしました。VR空間では彫刻の「中」にも入れるんだって。VRをやる前は“動くペインティング”というか、ビデオペインティングを彫刻と組み合わせてインスタレーションを作ろうと思っていたんですが、インタラクティブなほうが面白いし、3Dなら現実とほぼ同じなので、感覚を拡張させるだけというか……こういうのをなんて言うんでしたっけ。

拡張現実ですか?

そうそう、拡張現実。(ジャック・)アタリが言っていたと思うのですが、近未来では私たちの拡張であるアバターが、他者とコミュニケーションするようになる。そういう「拡張された自分」の感覚になれたら、新しいストーリーに繋がるんじゃないかなって、VRに取り組みはじめたわけです。

カイさんにとって「展覧会内にVR空間を共存させる」ことは、どういった位置づけなのでしょうか。

VRを作りはじめてから、私もヴァージルも2つのリアリティに住んでいるような感覚があって、脳の神経回路(ニューロン)の接続パターンも変わってきている気がしています。実際に変わってきているかは分かりませんが、フランスの哲学者ミシェル・セール(Michel Serres)の「携帯電話やパソコンの使用がニューロンの接続パターンを変えた。すでに私たちは違うリアリティに生きている」という理論をそのまま当てはめるとしたら、日常的にVRとリアルを往復している私たちは、すでに新しい脳になってきているんじゃないかって思うんです。おそらく、私にとってのVR空間とは、マテリアルに近いかな。レジンやシリコンのように、ただ「VR」があるという。

Today, too, a new way of thinking – and quite simply, a new head – is emerging. You can see it in the computer: It holds your memory and a lot of your operating system. As a result, there are many old brain functions that are being replaced by the computer, and thus the head is changing. That’s the new human being. The thinking subject is changing, but our way of being together is also shifting. When you take the subway in London or in Paris you see everyone on their phone, and they’re completely transforming the community that once was the subway’s. People are calling their neighbor – their virtual neighbor, that is – on the phone. Two things are changing: the thinking subject and the community as subject.

032c – “MICHEL SERRES”, 2014
Rendering of 3D simulation for Chronos Project, 2021-2022

私はVRと聞くと、どうしても空間性をまず考えてしまいます。

VRをやっている理由がもう1つあって。リアル空間だと、自分の身体のサイズを基準に対象のスケールを比較しますよね。でもVRの中には自分のスケールが存在しないので、自分の視点と対象との距離感でスケールを考えるようになるんです。実際、展示空間にあるコップが巨大だったり、すごく小さかったりすることで、自分のスケールの感覚が変わってくるのはおもしろいですよ。VRなら、たとえばトイレットペーパーほどのサイズの彫刻の中に入ることだってできたりする。そういうところが好きなんですよね。私たちが作っているVR空間にあるマテリアルは、全て異なるスピードで動くようセットしてあるんですが、中にはサイズが常に変化しているものもあります。リアルでは不可能な変化が可能になるということは、つまり新しい知覚体験が可能になる。そのためにVRという新しいマテリアルを使っている、という感覚です。

無意識と意識を行き来する

カイさんはあるインタビューで「自分たちは彫刻家というよりもペインターに近い」とおっしゃっていましたよね。そういった自己認識について、もう少し詳しく聞きたいです。

私は自分の彫刻を「3Dのペインティング」と説明しています。たとえば、鋳型にレジンを流し込むシミュレーションの際、色の組み合わせを決めたとしますよね。そこで訓練したアシスタントに「この色の組み合わせのとおりに作ってほしい」と指示して作ってもらうことだってできます。でも結局、最終的な色の組み合わせって、作っている間に変えたくなるんです。それは別に理由があるわけではなく感覚的なもので、やっぱりこっちの色だ、と思うことがよくある。そういう意味で、やっぱり自分たちがやらないと作品として成り立たないなっていう気がします。最初は3Dプリントをそのまま見せればいいかなとも思っていたんですが、それだとプロップに近いというか、やっぱり「作品」という感じがしなくて。最後はペインティングを作るように、自分の手で感覚的に触っていかないといけない。ペインティングを作っている。それがただ3Dなだけ、という認識です。

以前、彫刻家とスタジオシェアしていたときに、作業中すごくうるさいので耳栓をしてたんですね。あちこちが散らかっていて、粉だらけ。「彫刻家ってこういう感じなんだな」って見ていて思ったのですが、いっぽうで、その場に居たペインターは黙々と作業していた。その光景を比べたとき、私たちはペインターに近いな、と思いました。私たちにも多少汚れる作業はあるけど、それはプロセスの一部であって、主な時間はペインターのように黙々とやりながら夢の世界にいる。私にとってはVRも夢の世界の延長です。感覚的に混ぜ合わせて配置して、数日は夢を見る。その夢で見たものを現実に持ってきて作っています。

偶然性や夢を持ってくるあたり、クラシックのシュールレアリストのような印象を受けました。物質同士が偶然に混ぜ合わさったり、ふたりのイメージを重ねていって一つの作品に仕上げていったり。「夢」という単語が出てきたのも興味深いです。

色を決めるときも、たとえば海の生物、空、宇宙など大まかなイメージはありますが、そういうテーマを考えながら夢を見て、さらに抽象的なものを持ちよって決めています。無意識と意識の間を行ったり来たりしている感覚が強いですね。

少しトピックを変えます。以前ヴァージルさんはインタビューで「環境問題に対して応答する必要が出てきた」と仰っていました。実際、どのように対応していらっしゃるのでしょうか。

今はレジンの鋳造を全て終えて、ガラスを取り入れています。ドイツやロンドンではあまりなかったのですが、フランスに来てからはキュレーターから「レジン(を使っているの)ってどうなの?」と言われることが増えました。フランスは環境問題に対して熱心で、アーティストも環境問題に対してなんらかのメッセージを発信すべきでは、ポリティカルな責任があるのでは、という風潮があるんです。それと、あるキュレーターから「イメージをただ形にするだけじゃなく、有機的な形なんだから、マテリアルももっと有機的なものにすればいい。たとえばガラスを使えばときが経つと重力でゆっくり変形する。そういったマテリアルごとの特徴を取り入れられないか検討してみては」とアドバイスをもらったこともきっかけになりました。

オーガニックなマテリアルの耐久性を不安視するコレクターもいそうですし、落としどころが難しそうですね。

そうですね。なので、そういったことに配慮して、コレクター用や、インスティテュートなど長期間に渡って見せるものはガラスや鉄で。逆にほとんどのコレクターが買おうとしないワックスやシリコンは展示用の作品の素材として使うなど、場合によって使い分けています。

日本では環境への配慮が指摘されることなどほとんどないので、すごく新鮮です。

そうなんですか? 日本は20年以上前から環境問題に取り組んでいませんでしたっけ。

いえ、ことアート業界においては全くといっていいほど進んでいないんじゃないでしょうか。

それは、日本のアーティストの地位が、社会的なメッセージを発信するほどには高くないことにも関係している気がします。ヨーロッパでは(特にフランスや英国)アーティストの地位が高くて、デザイナー、建築家などよりも、著名なアーティストのほうが影響力があります。日本では歴史的な違いもありますが、どちらかというと伝統工芸や華道のようなジャンルの社会的地位が高い気がします。

AIは作品にあまり使用しないのですか?

私たちが作ったVR世界は2つあって、今AIの専門家と一緒に3つめの世界を作っています。アルゴリズムの代わりにAIが入り込み、体験者の行動パターンによって彫刻の形状が変化する、といったイメージです。あとは体験者と、VR作品が対話・コミュニケーションできるようなものを作ろうとしていて、AIのチームメンバーを何人か集めています。これは実装の前段階まで進んでいて、予算が下りるのを待っているところですね。VRで高度な作品を作ろうとすると、すごくお金がかかるんですよ。しかも、VR作品はあまり買われない(実際は日本の素晴らしいコレクターの方に購入して頂いたのですが)。だから購入はアテにできないので、助成金等にアプライして予算を取ってこないといけないんです。普通の作品よりも制作時間がかかりますね。

最先端のテクノロジーを積極的に取り入れていくモチベーションについて聞かせてください。

VRにしても、私は最新技術が成熟して使いやすくなるまで待っているので、自分たちが「最先端」だとは思っていません。作りたいものにマッチしていれば使うけど、技術が作りたいものに上回ることはなくて。ちょうど最近読んだこの文章に書いてある「poet-enginners (詩人-技師)」のようなことです。VRやデジタル彫刻の技術を見せたい! みたいな欲求はなくて、たまたま、リアル空間でヴァージルと彫刻を作ることに限界があったからデジタルに移行したし、ビデオよりVRのほうがインタラクティブで自分たちの空間と近いから使っていたりするだけで、そもそもテクノロジーが得意なわけでもない。今までできなかったことができるようになるというところでは、(最新技術を)使いたいと思いますけどね。

このインタビューでの一貫したイメージとして、最先端の技術をもってトラディショナルな美術史を更新している印象を持ちました。私は「テクノロジー」と聞くとメディアアートに結びつけてしまいがちですが、イッタ・ヨダにとってテクノロジー、AI、VRは1つのマテリアルであって、それを使っているだけに過ぎない。

いっぽうで、鋳型のような伝統的手法を最新技術と同時に使うこともすごく好きです。最近では、VRの静止画からリソグラフプリントを作っているんですよ。VRの静止画にして、そこから4色に分解するという、昔の伝統工芸みたいな製法ですね。最新技術と古典的な手法を組み合わせる、というか。

Never the same ocean (KA), 2021, lithography original, Giclée print, 60x40x6cm (Framed), photo: Olivier Metzger
Never the same ocean (VA), 2021, lithography original, 40x60x6cm (framed)

そういえばインタビューで、ヴァージルさんが「ロダンから影響を受けている」と仰っていましたね。ある意味すごく古典的なところから影響を受けている。

そうなんですよ。ヴァージルはロダンから、私はコンスタンティン・ブランクーシにすごく影響されていました。知らなかったのですが、ブランクーシはロダンの弟子だったみたいです。おもしろい接点ですよね。

今後計画している展示やインスタレーションがあれば教えてください。

よりパフォーマティブなインスタレーションをやりたいなと思っています。美術館で働く人に、制服ではなく一般の方と同じような服を着てもらって、展示空間にある彫刻を置き換えたり、触ったりしてもらう。その場でやってもいいことを、その人がやるわけです。すると彼らの行為を観たオーディエンスは「ここでは彫刻を触ったり、動かしたりしてもいいのかな?」と思うだろうし、実際行動に移す人も出てくると思うんですね。

ヨーロッパではとくに根強い「オブジェクト・サブジェクト(主体・客体)」の関係性をいかにあいまいにするかを考えてきたのですが、突き詰めると、それは観る人たちに対象を変化させる力を与えることなんじゃないかなって。今言ったような「フェイク・オーディエンス」を配置すれば説明や強制力を割愛できるし、オーディエンスのアクションが自然発生する可能性が生み出せるのでは……と、そんなことを考えています。まだまだ実現は先だと思いますが、レジデンスで少しずつ試したりしながら、ゆっくり形にしていきたいですね。

イッタ・ヨダ

カイ・ヨダとヴァージル・イッタによって2016年に結成、べルリン、パリ、東京拠点。 Royal College of Art (ロンドン)卒業。多様なバックグラウンドを持つ彼らは、コレクティブを通して伝統的な工芸やプロセスとデジタル・テクノロジーを組み合わせることで、デュオとしての芸術的アイデンティティを発展させた。コレクティブとエラーに焦点を当てた異文化と異空間の新しいコラボレーションの可能性を模索。

主な個展に、2021年「No History of Its Own」(Rupert at apiece, ヴィルニウス)、2020年「The Contour of Your Dreams」(Cite des Arts, パリ)2019年「降下する身体 記憶の断片」(Sprout Curation、東京)など。主なグループ展に、2021年「The Owls Are Not What They Seem」(Andréhn-Schiptjenko, ストックホルム)「INCARNATIONS」(アルル・フォトフェスティバル、, アルル)2020年「06」 (PM / AM、ロンドン); 「IN TOUCH – a visual dialogue」(Carlier Gebauer、ベルリン)など。受賞歴に Face Foundation (FR/NYC), Stiftung Kunstfonds(DE), Cité Internationale des Arts(FR)と、VRレジデンス(Institut Français)、Rupert Residency(LT), Fiminco Foundation Residency (FR) 受賞。