以下に掲載するのは、2021年9月17日に行った、takawo氏に対するインタビューである。インタビュアーは私、ucnvだ。
takawo氏は、8月17日にNFTアートのプロジェクト「Generativemasks」を立ち上げ、NFTアートマーケットであるOpenSeaで公開まもなく販売数1万を売り切って話題となった。それはNFTアート界隈のみならず、プログラミングに携わる人々にとっても一種の事件だっただろう。これはその現象から1ヶ月を経た時点でのインタビューである。それからさらに一ヶ月程度経過した今日現在、彼の考えも置かれている状況も変化しているに違いない。だからこのインタビューは一種のスナップショットだ。当時彼が巻き込まれていた濁流のような状況を反映している。
私の知るtakawo氏について触れておきたい。初めて連絡をもらったのは10年前だった。当時東京藝術大学の芸術情報センターで働いていた彼から、公開講座でグリッチアートのワークショップを企画したので講師をやってほしいと依頼されたのだった[1]。コンピュータテクノロジーに関わるワークショップ。今思えばその企画は、彼のその後の活動と連続していた。日本におけるMakerムーブメントのサポート、Processingコミュニティの運営、日々気軽にビジュアルコーディングを行う「デイリーコーディング」という活動の実践と拡大。#takawo杯と称して、コンピュータテクノロジーにかかわるダジャレのコンテストを行っていたこともある。一貫して、テクノロジーとコミュニティが彼の活動の2軸だ。
そうした私の所感からすると、「Generativemasks」プロジェクトは彼の活動として違和感のあるものだった。彼が見据えるテクノロジー+コミュニティとどう関わっているのだろうか。テクノロジーとコミュニティ以外の側面があまりに大きいように思えた。だから、私は極めて批判的な問い「なぜやったのか?」を、機会があれば聞いてみたいと思った。はじめは、だれか別の人によるインタビューに同席させてもらい、横からエグい質問を1、2個差し込む程度が適当だろうと考えていた。しかし、結局のところ私自身がインタビュアーとなった。だから私は、10年という旧知の関係と批判的視線とを、混在させながら問いを投げかけている。答えにくい状況だろう。takawo氏は真摯に、わかりやすく回答を示してくれた。
幾何学的で線対称な図形が生む “生命らしさ”
ucnv 具体的に内容に入っていく前に、まずはtakawoさんがはじめた「Generativemasks」について、ざっくりと教えてもらえますか?
takawo 一般的な説明としては、NFTアートと呼ばれるブロックチェーンの中で取引されるアートのコレクションです。販売開始時にローンチしたウェブサイトで情報公開やアーカイブを行っていて、現在はOpenSeaというマーケットプレイスで閲覧・購入することができます。
Generativemasksはコードによってグラフィックを生成していて、1万のバリエーションがあります。既存のNFTアートと少し違う点は、メタデータの中に振られた固有の番号によって、リロードするたびにグラフィックが変化するところ。0.1ETH(販売開始時。約3.5万円)で、合計1万点販売しました。10時くらいにスタートして、完売したのが12時半とかだったかな。最近引っ越したところなんですけど、当日は13時から退去の立ち合いがあって、引き上げなきゃいけないけど完売するかもで、めちゃくちゃそわそわしてましたね。
このプロジェクトのもうひとつの大きな特徴は、寄付の側面を持っているところです。僕個人のすべての収益をProcessing財団、OpenProcessing、NEORTなどの企業や財団に寄付すると、ウェブサイトに明記しています。ジェネラティブアートやクリエイティブコーディングの分野における僕のプロップスもゼロではなかったと思いますが、寄付の側面を評価してくれたり、ジェネラティブアート自体がNFTの世界で盛り上がっていること、また「Art Blocks」などのさまざまなブランドが注目される中では比較的購入しやすい金額だったのもあって、完売につながったんじゃないかと思っています。
ucnv プロジェクトにはtakawoさん以外の方もいらっしゃるんですか?
takawo サイトの一番下に記載がありますが、高瀬さんとwildmouseさんという方が開発に関わっています。株式会社TARTという、NFTを始めとしたブロックチェーン技術を用いてクリエイターの持続的な創作活動を支援している方々です。関係は僕が漫画家で、彼らが出版社、という感じで捉えてもらえるといいかなと。
ucnv NFTでマスクのプロジェクトを立ち上げようというアイデアは、takawoさんから?
takawo 高瀬さんは僕が関わっているProcessingのコミュニティーのアーティストと既にNFTアートのプロジェクトを進めていて、彼からNFTで作品販売をしてみるのはどうか、とお誘いいただいたのが最初です。NFTで作品を流通させることに対しては、僕も最初からポジティブだったわけじゃないんです。ただ話は聞いてみたかったし、市場経済が行き過ぎているネガティブな側面をハックする感覚で関われないかな、とは思っていて。打ち合わせ前から、高瀬さんには「収益を寄付するんだったらいいかも」と伝えていました。寄付のプロジェクトだったら、大規模でやることに意味が見いだせそうだと。
ucnv なるほど。販売点数の「1万」という値を設定する際に、コンピューターの、ある種暴力的に見える数の本性は意識されましたか?
takawo 1万という数字は人間とコンピューターの境界というか、人間の情報処理能力の限界だと思っています。この感覚をどうやって得たかというと、「#takawo杯」というコンテストをやったとき、約1万5,000点の投稿作品を、スプレッドシート上で一つひとつ見ながら選考したんですね。それで、1万だったらギリギリ処理ができるという体感があった。これ以上の数字は目でチェックできないし、人間の手を離れてしまう感じがするので、僕の中では「1万」であることは重要です。
ucnv すべて目視で確認することが前提になっていたんですね。
takawo そうですね。このグラフィックには「シェイプ(輪郭)」と、左右対称に展開する内側の「パターン」があって、目視でチェックしていました。1万のバリエーションがあるというよりは、1万のグラフィックのもとがあって、実行するたびにカラーバリエーションや配置が微妙に変わる。一つのグラフィックに29通りあって、輪郭は変わらないけど、グラフィックとしてのバリエーションは29万通りあるはずです。
ucnv お誘いを受けてアイデアを練るとき、過去にご自身がデイリーコーディングで作ってきたグラフィックを俯瞰する機会があったと想像します。振り返ってみて何か感じたことはありましたか?
takawo やっといてよかったなとは率直に思いました。ただ、Generativemasksのもとになったスケッチは、僕の中ではちょっと特別だったんです。というのも、基本的にジェネラティブアートのエディションって──それがシリーズの価値につながることもあると思いますが──どうしても見た目が類似してくるんですね。Generativemasksにおけるちょっとした発見は、シェイプとパターンの組み合わせを左右対称に展開することによって、人間がそこに生命のようなものを感じるというか、グラフィックの中に意味を見出そうとする要素を組み込めたことでした。幾何学的な図形の組み合わせや、色の塗分けなど、とてもシンプルなパターン生成という自分の得意な方法に対して、確信めいたものを得ていた。こうした形で世に出せてよかったなと思っています。
ただ、これはいろんな実践や試行錯誤の時期があってこそでもあって。絵文字を使ったり、透過させたり、3Dを三次元空間上で図形的なものを左右対称に展開するとか、文字だけとか……毎日ようにさまざまなパターンを作っていたなかで、この気づきが得られた。個人的なブレイクスルーはそこでした。
ucnv Generativemasksに近しいグラフィック制作を集中的に実践していた頃があったようですが、その時期は一度終わったんですか?
takawo どうですかね。終わったというか、僕のデイリーコーディングは、連続性を持ちつつ、切断もする。非常に発散的、散逸しがちなものです。スケッチが一覧できる形でアーカイブされていれば、思い返してその続きへと戻ることができる。あまり(プロジェクトを)区切らないようにしています。
ucnv 最近はマスク系のグラフィックをデイリーコーディングで再開していて、今Generativemasksがtakawoさんのデイリーコーディングに「帰ってきた」状態だと思うんですけど、帰ってくる前はtakawoさんのモチベーションはどういう方向に流れていたのでしょうか。
takawo うーん。コードを書きながら確かめている部分はあるんですよね。僕は「ジェネラティブアート」や「ジェネラティブデザイン」というよりも「クリエイティブコーディング」という言い方がしっくりきていて。コーディングするという行為によって、自分自身の関心や、構文やテクニカルな発見があることが、自分にとって重要なんだと再認識しているところです。連続性は重要ではなく、パターンに対してあとから意味づけしていく。アイデアのもとを作っていく感覚です。
NFTアートのシーンに参加した真意
ucnv NFTアートのシーンに作品を投入した背景には、どのような狙いがあったのでしょうか?
takawo 先ほども少し触れましたが、ネガティブな印象をひっくり返すことで、システムや制度自体をハックできたら、と考えていました。その方針を軸に、作品の方向性──数が販売できるようなグラフィックで、自分の得意な手法で魅力的に見えるようなものにしようとか、パズルのピースをあてはめるように考えていきました。たとえば、こちらは先日Crayon Codes で販売したNFTアートですが、こういったものとは違うグラフィックのほうが、そういうところに届くんじゃないか、と考えたり。
CityScape #1
ucnv 「そういうところ」とは、NFTでイーサリアムをやり取りしてるような層に届く、という意味ですか?
takawo そうですね。絵画のような、エディションが少ない作品ではないので、ある程度ポップさとか親しみやすさが重要だと思っていたし、実際そういったものがつくれた手応えもありました。不気味でかわいくて、なおかつコンピューターが生成している感じも見て取れる、という。そういう意味では、適切な作品だったのかな。あんまり面白くない言い方ですけど。
ucnv takawoさんは、Generativemasksの見た目が好きなんですか?
takawo 好きですね。日常的にタイムラインなどでマスクを見かけてもすごく新鮮に感じますし、自分のグラフィックでありながら、不思議な出会いの瞬間みたいなものがあって、その点をすごく気に入っています。妖怪やトーテムポールとか、民族的なモチーフを参考にしながらつくったんですが、結果的に『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド的な怪しさというか、生命感を作品のなかにつくれたんじゃないかな。
ucnv では、次の質問で……
takawo というか、この質問表(※事前にtakawoさんに展開していた)の書き方がエグいんですよね。
ucnv 答えたくなかったら、そうおっしゃってください(笑)。それで、徐々に核心に入っていきたいのですが、いっぽうでNFTアートは経済投資に巻き込まれていて、整備された芸術評価の場ではないように見えます。この辺についてはどうお考えですか。
takawo いえいえ、全部答えますよ。そうですね……とくに日本ではそういう見方のほうが強いし、おっしゃっていることはわかります。僕がやっているクリエイティブコーディングのジェネラティブアートのシーンでは、海外アーティストがジェネラティブアートをNFTで販売しています。たとえば、タイラー・ホッブスさんの「Fidenza」という作品のシリーズは、変動もあると思いますが、1作品が1,000ETH(約335万ドル)という高額で取引されている。彼以外にも莫大な収益を生んでいる作品があります。
Art Blocksの活動を見ていると、ジェネラティブアートに関わってるアーティストが何人も参入しています。デジタルアートに注目してる時期だったこともあって徐々に疑念が薄れていき、プロジェクトの初回の打ち合わせがあった5月頃から、NFTで自分の作品を展開することにネガティブではなくなっていましたね。
ucnv 僕からすると、takawoさんがGenerativemasksを作った意図や、これまで答えてくださったようなことは、買っている人にあまり伝わってないんじゃないかなと思えるんですよね。
takawo そうですね。「2時間半で作品が完売した、日本で最も大きなNFTのプロジェクト」って、センセーショナルに取り上げられそうになることもあるんですけど、これはいっときの瞬間しか見ていなくて、実際はそんな短期的なものではないんです。このプロジェクトは継続的な取り組みが本質であって、売って終わりじゃないですから。寄付や、僕個人の評価、そしてこの活動自体が、作品の評価と連動している。今後、僕はいろんな取り組みを通じてメッセージを発信して、日本におけるクリエイティブコーディングのコミュニティーを成長させていきたいし、そういった活動を通じてプロジェクトの本来の意義や価値を伝えていく必要があると思っています。
実際に、現在DiscordのGenerativemasksのチャンネルには200人ほどがマスクを持って参加しています。持ってない人も含めて、だいたい2500人ぐらいの人たちがいるかな。メンバーはコーディングのハウツーや、市場の評価などを自由に議論していて、ネット上で僕に関する言及があったときに教えてくれることもあります。コレクションをより楽しんでもらうための、スケッチをシェアするチャンネルや、クリエイティブコーディングの学びを共有するチャンネルもある。
「どこで販売された」とか「作品が全部売れた」というのはただの出発点でしかありません。情熱がつづく限り、このプロジェクトをデイリーコーディングと同じような形で続けていきたいと思っています。(より広く世間に)認められていけば、Generativemasksを所有する意味と価値は変わっていくはずです。単純に「マスクがかわいい」だけじゃなくて、僕の活動やクリエイティブコーディングへの関心や、マスクを所有することで誇りを持てたり、そういったバッジめいた存在を目指してるんだと思います。
「Generativemasksは仮想通貨以上の評価を得ていない」
ucnv なるほど。takawoさんは「みんな、デイリーコーディングやってみれば?」っていうスタンスですよね。そこで、デイリーコーディングってなんなんですか、というところを聞きたいんですが、単純に「毎日コードを書くこと」と、それとは別に「発表すること」がこの活動に付随していますよね。この2つの異なる行為がtakawoさんの言うデイリーコーディングだと考えて間違いないですか?
takawo そういうふうに見ることもできると思います。「コードをコミュニケーションのツールとして使う」という言い方でもいいのかもしれない。結果的に、僕は毎日コードを書いているけれど、そこは重要じゃないと思います。
ucnv 発表するほうに比重があるのでしょうか。
takawo 日常と行動を結びつけるというか、コードを書くことを特別なものとしないことを目指してやっているつもりです。コードの完成度にかかわらず、書くことで書き手に発見や気づきがあったり、書いたコード誰かと共有することで、ほかの誰かに発見があるかもしれない。
ucnv なるほど。では、この質問はあまりにも基本的で失礼に聞こえるかもしれないんですけど、コードを書く行為が日常になり、発見や気づきがあると、何が嬉しいんでしょうか? 自分が体験してきた達成感や喜び、驚きをほかの人にも感じてほしいと、そういう感じですか?
takawo そうですね。たぶん、僕が生粋のプログラマーではないから、そういうふうに思うんだと思います。最初からプログラミングができたら、たぶんこういう(デイリーコーディングのような)ことって考えないでしょう。
僕はずっと「できない側」だったんです。とくにクリエイティブコーディングとかジェネラティブアートになると何を書けばいいのか分からなかったし、目的がないとコードが書けなかった。チュートリアルはできるけど、チュートリアルの先に進めないというか。そんな悩みがあって、挫折を繰り返してたんです。
そんななかで──これは、自分の成功体験を伝えようとしてるだけと言えばそれまでなんですけど──ここ2年間ぐらいやってきた、書いたコードをシェアする、いわば「ソーシャルなコーディング」をとおして、短いコードをフォークしたり、誰かのコードを参照したりすることで、偶発的に発見や気づきが生まれてきたし、それが当たり前になっていった。こういう体験がもっと広まるといいなって、そう思っているから積極的に発信しているんだと思います。
ucnv さきほどもあった「コミュニティーが発展する」とは、具体的にはどういったことなんでしょうか。デイリーコーディングをする人たちが増えるという意味ですか?
takawo それは一面的過ぎるというか、僕がやっているコーディングをみんなにしてほしいとはあまり思いません。ただ、僕が日本のProcessingコミュニティーの運営に関わるなかで、財源やコミュニティーのマンパワーが足りないと感じることがあって、そこに資金なり人なりが集まって活性化すれば、僕自身の刺激も増えるし、多彩な視点で運営されることになれば、よりおもしろくなると期待しているんです。
NFTにはネガティブな側面もある一方で、希望的な側面もありますよね。たとえばメディアアートなど、主にコンピューターを使って作品を制作する作家は、作品販売から収益を得ることがながらく難しかったけれど、NFTによってひとつのやり方が生まれたとも言える。専業のアーティストとして活動できる人もすでに出てきているはずです。NFTの高騰がいつまで続くのかはひとまず置いておいて、こういったことは、まず非常に喜ばしいことだと思います。
Generativemasksの話に戻ってしまいますが、販売終了後も、作品が流通すれば二次的収益が発生します。僕はその資金で、公益財団法人のような組織をつくろうと考えています。そこでProcessingのコミュニティーに限らず、国内のさまざまなクリエイティブコーディングに関わる活動の助成を行ったり、研究を支援したり、歴史的な位置づけを支援していきたいんです。海外から見ると、日本のジェネラティブアートのシーンは独特で面白いんだけど、歴史との接続が全くされてないがために評価されていない、という側面がある。だからそこを支援することはすごく意味があるし、目的意識がありますね。
ucnv 今の展望は「コミュニティーの発展」というやや抽象的な見方を、抽象的なまま目標として出てきているように感じます。たとえばコミュニティーに財源ができたり、あるいは研究が発展していくことによって、デイリーコーディングをする人たちとって、具体的にどんな変化があるのでしょうか。
takawo 僕はもっと、プログラミングやクリエイティブコーディングを当たり前のものにしたいんですよね。日本のクリエイティブ・コーディングを支援する、底上げする、みたいなことだけではなくって。計算機科学的、コンピューターサイエンス的なベクトル以外のクリエイティブコーディングの可能性を自分自身が探求したい。それを考えると、種は多様であるほうが嬉しいんです、僕個人としては。
……なんか、僕さっきからめちゃくちゃ説得してますね。ucnvさんに投資してもらおうとしているみたい。
ucnv (笑)。
takawo あ、でも公益財団法人のようなものを設立したいっていうのは本気です。そこで、僕がやるような寄付を受け付けられるようにしたくて。収益を得たけど、コミュニティに貢献したいとか、寄付したいと思った人が、僕がした苦労を経験しなくて済めばいいなと。今、収益の半分ぐらいは課税されているんですよ。
ちょっと軽率な発想と行動によって莫大な課税を受けてしまった僕のケースから学びを得てもらって、うまく寄付できる仕組みづくりができれば、課税分ぐらいは返済できるかなって思ってますね。だから、寄付してください(笑)。
ucnv けっこう大変なことになっているんですね。
takawo そうですね。それに、ちょっと不思議な感じもしていて。書いたコードをもとに生成されたら変化するような作品が、流通することで形を帯びていく。それに価値を感じる人がたくさんいて、僕のウォレットに莫大な仮想通貨が入ってきて、その瞬間に課税される。ソリッドな実感として、これめっちゃプレッシャーじゃん、って感じていました。
しかも、仮想通貨は値段が変動しますよね。今もイーサリアムが暴落する可能性は全然ある。そうなったら僕、寄付どころから税金すら払えなくなる可能性もあるんですよ。そうなったら「SAVE TAKAWO」みたいなNFTプロジェクトが立ち上がってほしいんですが(笑)。たくさんの人に注目してもらえたことはありがたいけど、このプロジェクトはまだNFT以外の評価、仮想通貨以上の価値付けはされていないという認識です。(後編へ続く)
- [1]当時教員であった城一裕と高尾俊介による企画で、針谷周作、林洋介、ucnvの3名によるワークショップ↩