私はアイデアの下僕である: ジム・ウードリング

Text & Translation: Kentaro Okumura

Photography: Daishiro Niino

Interview___4.26.2021

無垢な残忍さと愛嬌が同居するキャラクターがサイケデリック・ワールドを夢遊する〈FRANK。それは、幼い頃から幻覚とともに生きてきたオルタナティブ・コミック作家のジム・ウードリングと、彼の「預言者」との共作とも言える。イマジネーションと手を組み、いわば半現実的な創造の道をたどった彼に、FRANKにおける物語の作り方についてメールインタビューを試みた。

良いコミックを作るのに、良い漫画家である必要はない

いろいろなインタビューを拝見しましたが、あえてお聞きしたいことがあります。FRANKで描かれている世界とは…一体何なのでしょうか?

真実をお伝えしますね。FRANKの世界は「ユニファクター」という、深く賢い潜在意識から、浅くて愚かな “パブリックな私”へのギフトです。ユニファクターは自分を解明するためのミニシアターであり、FRANKの作者でもあります。初期の頃の私がすべきことは、木から落ちてくる熟れた果実をキャッチすることだけでした。口述筆記のように物語が送られてくるので、ただそれを書き留めるだけでよかったのです。物語が完成し、描く準備ができたかどうかは、感覚でわかりました。FRANKを描くことほど簡単なことはなかったんです。FRANKは私の作品ではありませんが、私のための作品であることは間違いありません。

いくつか描くうちに、構成のパターンが見えてきました。どの話にも新しいキャラクターが出てきます。どの話にも道徳やメッセージがあって、中にはとても鋭いものもありました。物語を描き終えるまで、これらに気づくことはほとんどありません。例えば「Frank’s Real Pa」というストーリーで、主人公フランクは小さなラグに心を奪われます。彼はそのラグを家に持ち帰って、ラグの上で眠り、ラグの夢を見る。そしてそれが彼を混沌へと導きます。この混沌そのものと、混沌にどう対処するかが物語の肝なのですが、「ラグ=ドラッグ」という鍵なしには理解できません。この物語は、あるドラッグユーザーの理解の軌道を描いたものなのです。最初にこのことに気づいていたら、描かなかったかもしれません。

長い年月をかけて、FRANKの物語は私を次のジャンプポイントへと近づけてくれました。「Frank’s Real Pa」におけるメッセージとは、つまり「アートはドラッグである。場所を見せてはくれるが、そこへ連れて行ってくれるわけじゃない」というもの。この気づきはアーティストにとっては終わりの始まりですが、幸い私からすれば長く、ゆったりとした、耐えられるプロセスでした。

あなたが見たカエルの幻覚について教えてください。学生時代、人生の方向性が定まらなかったあなたにとって、その幻覚はとても重要なものだったそうですね。あのカエルはどのようなビジョンをもたらしましたか?そして、作中で楽器を演奏するカエルは、そのビジョンと何か関係があるのでしょうか?

高校を卒業した19歳の私は両親と一緒に暮らしていて、これからどう生きていけばよいのか、全く分かりませんでした。グレンデール・コミュニティ大学で一般教養の授業を受けていましたが、あまりに混乱していて何もできなかったんです。授業には出ていましたが、自分が何をしているのか、何を得ようとしているのか、さっぱりわからなかった。美術史の授業も、当時の私にはほとんど意味のないものでした。

ある日の午後、バビロニアやエジプトなどの古代建築物のスライドを見せられました。スクリーンが白くなり、私は一瞬、刺激的な期待感に包まれました。そして、大きなゴムのような緑色の両生類がスクリーンの上に現れ、片目を上に向けてじっと座っていたんです。私は驚いて大声を出し、机をひっくり返してその場を離れようとしました。

その後しばらくして、私は無心でこの出来事の絵を描きました。痛み、憧れ、探求……シュールレアリズム、教会のようなビルの建築、知的なゲーム、消失点、愛など、多くの表現と結びついていて、それは明らかに何かを意味していました。長い間、生活の中で刺激的で心地良い存在でしたし、私が望む場所からの使者のように感じられました。長い間、どんな壁にも目を通さずにはいられませんでした。求めている答えが目の前に隠されているような気がしてならなかった。……残念ながら、私はこの出来事によってアルコールと幻覚剤の道へと深く入り込んでしまいました。一種の恐ろしい神秘主義だったと思います。

で、作中に出てくるカエルはただのカエルです。カエルなら一日中見ていても飽きません。

From “BLACK & WHITE FRANK”

FRANKを読んでいると、どうしてもマンホグのことが気になってしまいます。彼はバラック小屋のようなところで暮らし、常に何かの労働を強いられたり、ひどい目にあったりする一方で、人間と接触したり、人間のような見た目へと変貌を遂げることもあります。このキャラクターは、FRANKに不穏な雰囲気をもたらす大きな要素だと感じていますが、あなたは彼にどのような役割を担わせていますか?

マンホグはFRANKの中で唯一、学習能力と変化の能力のあるキャラクターです。何かの罰として連れてこられたように見える彼のユニファクターでの生活は試練そのものです。彼は軽蔑され、のけ者にされていますが、それは自分が故意に招いたことでもあります。彼には頭脳があって、道徳心すらある。やるときはやるヤツなんです。「ウェザークラフト」というエピソードでは、ヴェーダーンタ学派が「ジヴァンムクタ」と呼ぶ、肉体を持ったまま解放された状態になり、ユニファクターから永久に解放されることになります。このように、彼の人生は波乱に満ちています。

今も私はマンホグが酷い行いによって凄惨な報いを受ける、というシークエンスに取り組んでいます。彼にこんな残酷なことをさせるのは辛いことです。いつか彼がもっと幸せになれる場所に逃げ込むところを描きたいと思っています。

From “BLACK & WHITE FRANK”

FRANKでセリフを使用しない理由を教えてください。

「FRANK」の最初の話はサイレント・ストーリーとして提示され、それがパターンとなりました。もちろんセリフがあればまったく別のコミックになります。作るのも簡単ですし。「翌朝……」と書く代わりに、夜が明けて、日が昇るところまで描かないといけませんからね。それは制約であり、訓練でもあります。しかし実際のところ、物語がどのように生まれてくるかについて、何の発言権もありませんでした。私はアイデアの下僕だったのです。

初期の頃は台詞を付けて描くトライをしたこともあります。うまくいくかどうかを確かめるために、フランクとマンホグが話している短編をいくつか描いたり。ありきたり!バカバカしい!

アートは世界には素晴らしいものがあることを思い出させてくれる

コミックを描くという行為は、あなたの中でどのような位置づけにあるのでしょうか。想像の世界との対話なのでしょうか。それともビジョンや幻覚を出力する装置のようなものですか?

コミックはビジョンなどをアウトプットするための2つめのデバイスです。自分でもどうやって描いているのか、なぜ描いているのか、どんな気持ちで描いているのか……本当によくわかりません。衝動でもないし、仕事でもなければ、競うためでもない。自然に身についたものでもないです。生まれながらの天才じゃないので。私には何の特別なスキルもありません。コミックを描くべきだという点は理解していますが、人生の他の要素と同じように、なぜ自分が今の状況に置かれているのか、全くよくわからないのです。

実際のところ、私が本格的に漫画を描き始めたのは、あるきっかけに恵まれたからです。30代半ばのことでした。それまではイマイチな短編をいくつか描いたり、コミック全般に挑戦したりしていましたが、それら代わりにシンプルなドローイングやペインティングを描こうと決めていました。世の中から注目を集めるために、それらを「イラストレーション・オートジャーナル」のコピー版である『JIM』にまとめ、数冊を自費出版しました。

当時はアニメーションスタジオで偉大な漫画家であるギル・ケインと仕事をしていたのですが、彼はファンタグラフィックス・ブックの発行人、ゲイリー・グロースと仲が良かったんですね。ゲイリーは『JIM』を見て「コミックを載せるなら出版してもいい」と言ってくれました。そこで私は、彼に出版してもらうために本格的にコミックを描き始めたのです。

コミックは自己表現のひとつであって、すべてのアーティストに適しているわけではありません。しかし、ジョージ・ヘリマンや宮崎駿氏のように、しかるべき人の手にかかれば想像を遥かに超えたえた作品が生まれます。私にとってコミックは映画のようなもので、演者や風景とともに語られる物語です。コミックの形式はとても簡単です―おもしろけば何でもいいのですから。すべてはアーティストが何を言いたいかにかかっています。良いコミックを作るのに、良い漫画家である必要はありません。

FRANKにおいて、物語の結末はどのように決めているのでしょうか?制作のプロセスで特に注意していることがあれば教えてください。

物語が勝手にストーリーを作ってくれます。テンポや構成、ページ分割などは自分で考える必要がありますが、台本は邪魔をしない限り、まるで指示されたかのようにやってきます。

「Congress of the Animals」のスクリプトを “集めて”いたとき、物語の主旨を意図的に変えてしまうという失敗を犯したことがありました。主人公フランクがソウルメイトを見つけたら面白いだろうと思ったんです。これがきっかけでユニファクターは私をボイコットし、一切連絡が取れなくなりました。私は荒っぽく、愚かで、頑固な1年をかけてストーリーを完成させました。ユニファクターが戻ってきたのは、ストーリーを書き上げようとしたときです。自分が無意識に生んだ問題を解決するためのヒントをストーリーに入れ込んでくれました。

印刷された本を手にするまで、自分の過ちの大きさに気づきませんでした。フランクに愛すべき仲間を与えたことで、設定を壊してしまったんです。物語は自己の世界を探求し、隠された不思議を発見しようとするフランクの意欲に支えられていたのに。彼は毎朝日の出とともにベッドから飛び起き、外に出て空に向かって敬礼しました。今では結婚しているも同然なので、寝坊したり、ジョイライドに行ったり、クロスワードに取り組んだりしました。

私は愕然として、ユニファクターに私を許し、対処法を教えてほしいと懇願しました。懺悔のために、冒頭6ページを一行ずつ描き直さなければなりませんでした……同じような見た目でも、その実は異なるものなので、古いものは使えなかったのです。同一でありながら物理的には異なる現実を作る必要がありました。フランは、フランクを犠牲にして彼女の尊厳を増幅させる形で方程式から除外されました。その後、私は自由に「Poochytown」のストーリーを描くことができました。

ちなみに、今はフランクのネタを100ページほど仕上げているところで、これを前の3冊の本と合わせて、「One Beautiful Spring Day」という400ページの物語にする予定です。

From “Pupshaw And Pushpaw”

あるインタビューで、子供の頃から「死」についてよく考えていた、執着していたとおっしゃっていました。大人になった今、死に対する考えに何か変化はありましたか?また、死をどのように捉えていますか?

まぁ、それは「死」としか言いようがないですね。他に言いようがあるんでしょうか。私は「人間の本質的な意識は永遠である」というアドヴァイタ・ヴェーダンタの哲学を信じているので、死ぬことの不幸を乗り越えれば、死そのものが至福であると予感しています。そしてもしそうだとしたら、その知識がタブーになるのもわかりますよね。

幼い頃に死を恐れていたのは、自分は若くして母と同じく癌で死ぬだろうと思っていたからです。人生を十分に経験して学ぶ前、自分を取り戻す前に死んでしまうのではないか、と。なので、この歳まで生きられたことには感謝しかありません。

今では、死を期限と捉えています。それより先は何もできない地点、ということです。そう考えると、残された時間でできる限りのことをなし遂げようと思えるのです。

FRANKの背景や模様は、自然界の植物や昆虫、爬虫類などからインスピレーションを受けているように見えますが、これらのビジュアライゼーションには何が影響しているのでしょうか? あなたと自然との関係について教えてください。

もし数人の人たちと自然界を楽しみながら人生を過ごすことができたら、本当に幸せだろうなと思います。私にとっての地上の楽園とは、1時間かけてカエルの池を間近で観察することです。

ある時、友人とハイキングをしていて、山頂に着いて景色を眺めていると、彼は「この景色を見ていると、すべての時間や進化、地質、すべての複雑なディテールがここに注ぎ込まれている……そのことに思いを馳せるんだ」と言いました。それを聞いて私は「あなたは誰?  このゲームは何? 何が起こっているんだ? 話しかけてよ!」 と風景に語りかけたんです。これが私と自然との関係を表しています。

絵を描くというのはとても身体的な行為ですよね。体を管理する上で、気をつけていることはありますか?

もちろん一日中机に向かうと体に悪いので、こまめに休憩したり、運動したり、ストレッチをしたりして、相殺しなければなりません。私のドローイングテーブルは手回しで昇降できるので、座る時間と立つ時間を分けています。

あなたがInstagramを始めたことにとても驚きました。SNSを始めた理由と、その感想をお聞かせください。

インスタグラムに参加したのは勧められたからです。好きでも嫌いでもなく、ついつい放置してしまいます。ソーシャルメディアが苦手なんです。人の心を読むのが苦手で、オンラインだともう絶望的です。それに短気で、いつも挑発に乗ってしまいます。意図せずに間違ったことを言ってしまう傾向もあるので、うまく(自分を)管理できないのです。

パンデミックはあなたにどんな影響を与えましたか?2020年以降の心境をお聞きしたいです。

実のところ、パンデミックによる生活や仕事への影響は大きなものではありませんでした。ある程度孤独でいることが好きで、妻とワシントン州沖の田舎の島でひっそりと暮らしています。二人とも家で仕事しています。私は毎日、いつものようにスタジオに入って仕事をします。もちろん世界で何が起きているのかは心配ですが、ドナルド・トランプが大統領でなくなったことが、最近で一番幸せな出来事でしたね。

災害化した世界で生きる今、アートやコミックには何ができると思いますか?

「政治に興味のない人は、水に興味のない溺れている人と同じだ」ということわざが昔から嫌いです。溺れている人が水に興味があるなんておかしいでしょう。(溺れている人には)空気が大事なんだから。

現代のような激動の時に、コミックを含めた「アート」は何ができるでしょうか。例えばアートは、政治は人生の一部であって、人生そのものではないことを思い出させてくれます。飢えた人間の内面に訴えかけ、栄養を与えてくれます。そして喜びや、立場の異なる人同士の理解を促進してくれます。私たち自身を含め、世界には素晴らしいものがあることを思い出させてくれるのです。