対話と相互理解のためのグローバル: アブダビ発のアート・パブリケーションフォーム「Grobal Art Daily」

Text & Edit: Kentaro Okumura, Anna Kato

Translation: Anna Kato

Interview___3.31.2021

「Global Art Daily」(以下GAD)はアラブ首長国連邦の首都アブダビや、中東におけるローカルなクリエイティブシーンを取り上げるウェブパブリケーション・プラットフォーム。“Welcome to the (rest of the) world.” を掲げる同誌のファウンダーで編集長のソフィー・アルニは、GADを「異文化間の対話を促進するために生まれた場所」と表現する。ヨーロッパ、アブダビ、日本など複数の文化圏で生活してきた彼女に、中東のアートシーンの成り立ちと、パンデミックによって国境が閉ざされた現在における「グローバル」の意味合いを問うた。

グローバル的、ノマド的、多中心的な新世代のための議論空間

まずはGADのはじまりについて教えてください。

GADを始めたのは、ニューヨーク大学アブダビの2年生の頃です。アブダビに来て2年目で、美術史の勉強を始めたばかりの私は、何よりも「グローバル・アート」という言葉に惹かれました。大学では多様な視点で美術史を学ぶことに重きをおいていて、アラブの現代美術、ヨーロッパのルネッサンス、アメリカの写真史、日本のもの派、中国の明朝磁器などについて学びました。

「グローバル・アート」が決して新しい概念ではない、と知ったのもその頃です。シルクロード、ペルシャ帝国とムガル帝国の交流、マルコポーロとポルトガルの征服、イギリスとオランダの東インド会社の遺産……これらの歴史からも、アーティストやキュレーターは常に国を越え、一つの地域的視点に囚われない作品を生み出してきたことが分かります。アートの歴史とは、すなわち異文化交流の歴史そのものなのかもしれません。

アブダビでは、当時から新しい文化や美術館への投資が積極的に行われていて、学芸員室には「East meets West」という考え方がありました。中東文化のハブとして、ヨーロッパとアジアの出会いの場になろうとしていたんです。当時のUAEの指導者たちは、アートや美術館が街のイメージを良くするだけでなく、アブダビを異文化間の有意義な対話の場とする力があると理解していました。2017年にオープンした〈ルーヴル・アブダビ〉や、現在建設中の〈グッゲンハイム・アブダビ〉は、欧州中心の博物館学やキュレーションに疑問を投げかける大きな動きの一部でもあります。

Courtesy Gehry Partners/The Guggenheim Foundation

ことコンテンポラリーアートの文脈において、今日の「グローバル・アート」はインターネット上に生息し、広がっていると考えています。作品はまず、ビエンナーレやアートフェアのために“物理的に”流通し展示されますが、それはライフサイクルの序章に過ぎません。その次に、パンデミックの流行に伴い増加している「フィジタル」(フィジカル・ミーツ・デジタル)の体験、つまり作品がどのように撮影され、その画像がどの程度Likeを獲得し、他者に再共有されるか、というステップが待っています。

文化的な交流をみても(Twitterのリプライ・インスタのコメントなど、双方の)対話が可視化されて透明性が高くなり、多くのアーティストがリファレンスやインスピレーションを共有し合っています。私たちは今、文化における重要なイデオロギーの変化の中に生きています。世界各地のアーティストやキュレーターは、彼らの住む場所の物語を自らのものとし、世界中のオーディエンスにシェアしている―私はこのグローバルで、ノマド的で、多中心的なアートシーンを形作る新世代にスポットを当て、議論するためのプラットフォームを作りたかったんです。

取材前にメールで質問をお送りした際、私が使用した「中東(Middle East)」という単語を「アラビア湾(Arabian Gulf)」と書き換える方がよい、とアドバイスいただきましたね。これらの細かなニュアンスを教えていただけますか?

「中東」という言葉はいくぶんか問題のある単語です。植民地主義的なニュアンスがあるという意見もあるでしょう。また、パリやイギリスから見れば、近東はトルコや西アジア、中東はパキスタンまで、そして極東は中国、韓国、日本というわけですが、そもそも「東」や「西」というワードを使い続ける必要はあるのでしょうか。文化が生まれる場所に「中心」はなく、常にいくつもの「中心」があるはずです。

中東は広く、文化、民族、習慣を一つのカテゴリーにまとめることは困難です。GADでは、UAE、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、オマーンからなるアラビア湾岸地域の新しいアートシーンに注目しています。これらの国は、GCC(※湾岸協力会議)と呼ばれています。アラビア湾とGCCに重複する国もありますし(さらにややこしいことに)「GCC」はドバイで結成されたアート集団の名前でもあるんです。

制限が創造性を高める

UAEにカウンターカルチャーなるものは存在するのでしょうか? あなたが紹介してくれたチュニジア系フランス人のストリート・アーティスト、eLシードの作品を見たのですが、彼はカウンターカルチャーというよりもパブリック・アートに近い文脈にあると感じました。

公的空間に描かれた壁画はありますが、それらは美術館や自治体などの依頼によって描かれたもので、ご指摘の通り彼の作品はパブリック・アートと言えます。グラフィティは法律で禁止されています。移民の多いアラブ首長国連邦では摘発されると本国に送還されるリスクもあり、カウンターカルチャーが育ちにくい環境です。しかしながら―GADの創刊号で扱ったテーマもまさにストリート・アートだったのですが―私は日本のアート・コレクティブ「SIDE CORE」の言葉が一番しっくりきているんです。”the new street is the Internet.” これはUAEにも当てはまると思います。アートシーンではソーシャルメディアが大きな役割を果たしていて、特にInstagramは非常に大きな存在です。

Side Core and the Three Streets, in GAD Magazine Issue 01

アーティストは、批評的な考えをすぐにInstagramに公開し、引用したり、コラージュを作ったり、フォロワーと批判的な議論をする場を作ることができます。これはどちらかというと、ポップカルチャーや主流のニュース、ローカルな経験などの考え方を中心にした議論になりがちです。例えば、アーティスト兼プロデューサーのラミ・ファルークは、アメリカの政治などグローバルな意識に影響を与えるトピックのミームを毎日のように投稿し、湾岸諸国に生きる人々に定着させています。

私たちは中東の文化を考える際「アラブvs欧米」のような安易な二項対立で考えてしまいがちですが、実際のUAEの大都市には、アラブ以外の文化圏からきた移民たちの方が数的優位であることに驚きました。さまざまな文化的バックグラウンドを持つ人たちが協働するから、ビジネスシーンにおいては英語で会話する。そういった多様性は、アートにも反映されているのでしょうか? また、移り住んできた人たちはUAEのアートシーンに参加することはあるのでしょうか?

アートシーンへの参加という点では、アブダビやドバイ、シャルジャで開催される展示会に「UAEを拠点するUAE国籍ではないアーティスト」の参加が増えたことがとても嬉しいです。少し前のUAEのアートシーンでは、国際的なアーティストによる「輸入された」展覧会と、UAEベースのアーティストのものとに二分されていました。しかし、少なくとも過去5年間で、ギャラリーや美術館で行われる展覧会において非エミラティや非アラブ系かつUAEベースのアーティストが増加しています。

例えばアメリカ生まれのアーティストでキュレーター、クリエイティブディレクターのクリストファー・ベントンは、UAEに約10年住んでおり、ドバイのアートシーンで活躍しています。同じくドバイ拠点のフィリピン出身の写真家、アウグスティン・パレデスもいます。ニューヨーク大学アブダビ校の卒業生も、卒業後継続してUAEを拠点に活動しており、今注目のキュレーターのダニエル・H・レイはパラグアイ・コロンビア国籍です。

We Are Wondering, group exhibition curated by Daniel H. Rey (Dec. 16 2020 – January 31, 2021) at Maisan15, restaurant and gallery space operated by artist and entrepreneur Rami Farook. Dubai, United Arab Emirates.

その一方で、UAEはトランシエンス(一過性)の上に成り立っている国でもあります。UAEでは市民権の取得が難しく、ビザの有効期限によってはいとも簡単に国への出入りができてしまいます。しかしこの状況も今は変わりつつあり、例えば政府はアーティスト・ビザを与えたり、特別なカテゴリーの移民に市民権取得のプロセスを簡素化することを計画していると聞きました。

例えば、前述したアウグスティン・パレデスがUAEにやってきた理由は仕事でしたが、彼はアートを通じてこの街に自分の足跡を残すと決めたんです。この街を自分の「ホーム」と呼び、 自分のための居場所を作り上げました。彼がUAEに長く留まるかどうかはさほど重要なことではありません。彼は芸術活動を通じて空間を占有し、後世の人々に重要な足跡を残しているとも言えるのです。

UAEは厳格な宗教的規範から表現の自由も制限されている、というイメージがあったのですが、私がUAEに行ったときには想像していたような息苦しさはなく、むしろアーティストたちはのびのびと作品制作をしているように思えました。

UAEはイスラム教の国ですから、公共空間での展示には題材の制限があります。ただ、これまで私が住んできた他の国と比べると、UAEは文化的なトピックを含めて、自分の考えを表現しやすい国だと感じますね。それに、タブー視されているテーマがあることで、アーティストやキュレーターが一定のガイドラインの中で仕事をする際に創造性を高めることにもつながると思っています。

制限によって創造性が高まる、とはどういうことでしょうか。

例えば、クリストファー・ベントンの作品「 LLC FZ CO (A Great Place for Great People to Do Great Work)」で扱われているのは、UAEではデリケートなトピックともいえる出稼ぎ労働者のサクセスストーリーです。彼らの多くは、インド、スリランカ、パキスタンなどの南アジアから建設業に従事し、故郷の家族にお金を送るためにやってきます。多くは独身男性で「バチェラー」と呼ばれており、二段ベッド付きの小さな部屋に住むんです。

Christopher Benton, LLC FZ CO (A Great Place for Great People To Do Great Work), 2018. Installation view, Courtesy of Fikra Graphic Design Bienniale.

なので、街には「バチェラー 募集」などといった広告がたくさん掲示されているのですが、クリスはそれらをマッシュアップした立体物を制作し、インスタレーションへと展開しました。これらの広告は、言ってしまえば出稼ぎ労働者に向けたもので、こういった側面がUAEを形成する要因のひとつであることは間違いありません。クリスは、このような状況を視覚化して称賛すると同時に、作品のコンテクストが局地的になりすぎないよう意識しているように思えます。

現代アートと関わることは、より深い文化的、社会的、政治的意識を身につける近道にもなる

GADは中東やアラブ諸国のデリケートな問題にも焦点を当てているからこそ、特定の企業からスポンサードを受けず、インディペンデントであり続けることが重要ですね。

グローバルについて語るために、GADは常にニュートラルなプラットフォームであることを意識してきました。これがアートを自由に語り合う上で、最も良い方法だと思っています。

ただし「グローバル」であることとは、ある種の理想像であって、今の形態に行き着くまでにも多くのトライアンドエラーがありました。最初は国際的な展覧会も取り上げていたんですが、ある時有名媒体と情報が重複しては意味がないと判断し、アブダビベースの若手アーティストに焦点を当ててみたところ、ローカルには大きな力があると気づくことができました。GADは世界中のローカル・パワーを増幅させ、力を与えられると思っていますし、それによって新世代のアーティストたちの大陸を越えたネットワークになると信じています。

GADでは布施琳太郎やBIEN、高木遊(アートスペース〈The fifth floor〉主催)のような、東京の気鋭のアーティストやキュレーターだけでなく、先述のクリスのようなアーティストや、ニューヨークのDJ、マニラのファッションデザイナー、ベルリンの映像作家などにもインタビューを行っています。私にとって「グローバル」とは、地理的な意味合いだけではありません。アートの世界を特別なものとして切り離すのではなく、カテゴリーの垣根を取り払って、より大きな視点でクリエイティブな業界全体を見渡すことも意味しています。

Rintaro + BIEN at Chinretsukan Gallery, Tokyo University of the Arts, March 2019, “Count the Waves: Seeing Invisibility”

私はいつもできるだけ複数の文化的視点を持つグローバルな人でありたいと思っていますが、自分の中にある縛りを一旦外し、物事にフラットに向き合うことの難しさをよく感じています。だからこそ、バックグラウンドの異なる人と対話をし続けないと、自分の中の「グローバル」がいつの間にか消えてしまうような気がして。

GADの編集においていつも意識しているのは、自身の視点を一つの国の価値観だけに依拠しないコントリビューターやエディターに参加してもらうことです。母国と育った国が異なる人や、何カ国かに住んだ経験がある人、または他国の文化に強い関心があったり、世界中を旅しているような人、などなど。こういった背景を持つ人たちは厳密な意味で「一つの国」に属しているわけではありません。

これは個人的な理由によるものです。 私はスイスと日本のハーフで、中東、アフリカ、東欧の間で育ち、アラブ首長国連邦で大学に通い、日本で修士号を取得しましたが、どの民族にも属さず、どの国にも属さないというのはとても辛いことでした。ずっと「どこかに溶け込みたい」と思ってきました。シンプルな背景と一言で済むリアリティが欲しい、と。そんな時に出会ったのが「グローバル」という言葉と、GADのコミュニティだったんです。将来的にはあらゆるリソースと知識を使って「グローバル・シティズン」としての権利と責任を主張していきたいと思っています。

パンデミックによって国家間の移動が制限される中、「グローバル」そのもの意味や価値が変わってきていると感じています。

そうですね。同時に、オンライン上の相互接続性も加速していると感じます。ここ数ヶ月、GADにはデジタル展示、デジタルオークション、デジタルギャラリーの内覧会などの案内が世界各地から寄せられています。アート界のデジタル化はこれまでアートフェアやビエンナーレに参加するために世界中を旅する余裕のあるコレクターだけに限られていた「グローバルアート」を民主化しているのでしょう。

「グローバル」という言葉の意味自体も変化している2020年は、世界中でナショナリズム的な感情が高まりました。クローズド・ボーダーという概念が強化されつつある今だからこそ、常にオープンマインドでいることが大切です。多様性と相互理解を真に促進するためには、自分たちに馴染みのないトピックにも取り組むべきであり、そこでいよいよ「グローバルな」発想や考え方が必要となってくるのです。これまで以上に他者への好奇心を持ち、対話を重ねていくしかありません。それぞれの文化を特徴づける無数の微妙な違いを認識し、尊重しながら、より良い「グローバル・シティズン」になるための方法を日々考えなければなりません。

そういった意味合いでも、現代アートと関わることは、より深い文化的、社会的、政治的意識を身につける近道でもあります。アーティストは、何よりもまず第一に「考える人」ですから。彼らは作品を通して、日々の葛藤や地政学的研究、個人的な歴史をシェアしており、私たちは作品を通して彼らのコミュニティに関する多くを学ぶことができます。私があらゆる分野でマイノリティの人々による表現を熱烈に支持しているのはそのためです。

これからも引き続き、一つひとつの物語に耳を傾ける必要があります。「多様性」が単なるトレンドにならないことを願うばかりです。

ソフィー・アルニ

「Global Art Daily」編集長・ファウンダー。2105年、ニューヨーク大学アブダビ校の留学中に「Global Art Daily」を設立。以来、展覧会のレビューの執筆や、アーティストのインタビューを行う。同校で美術と美術史の学士号を、東京芸術大学で芸術学とキュレーションの修士号を取得。ロンドン・サザビーズやニューヨーク・クリスティーズでのインターンを経て、NYU Abu Dhabi Project SpaceとChinretsukan Galleryで展覧会のキュレーションなどを行なう。クリエイティブ産業のさまざまな分野や、アートセンターと周辺地域間の対話の創出に情熱を注いでいる。
https://www.globalartdaily.com/