文化とビジネスの間で、社会課題を解決する糸口を探る: 金 聖源(BABELO)

Interview & Text: Kentaro Okumura

Interview___4.4.2023

取材時期: 2022年7月

 金聖源が主宰する「BABELO」は、カルチュラルトランスレーション(文化翻訳)を専門に活動する研究所/相談室。インタビューを通したリサーチ活動の傍ら、個人に対する文化芸術領域の起業支援や企業・団体への事業開発、コンサルティング等を行なっている。広告代理店でのキャリアの途上にあって、文化産業や移民にまつわる学問を求めた金は、文化とビジネスの狭間から生まれる可能性にどのような希望を見たのか。

国籍や民族、言語を越えることが「文化」の示すところだった

──今回はBABELOのご活動やコンセプトに関心があり、取材をお願いしました。まずは簡単にご自身のキャリアを振り返らせてください。

自分の好きな映画や音楽に直接関わる仕事も考えたんですけど、ビジネス自体にも興味があって。というのも、ビジネスという筋力が付けば、さまざまな規模と種類のカルチャーコンテンツに触れやすくなるんじゃないかという推測があったんです。広告をそうしたコンテンツの基盤のように考えていたこともあって、広告代理店に入りました。ただ、7〜8年も会社生活をしていると会社に(精神的に)寄りかかりすぎたのか、入社当初の気概はいつの間にか削り取られ、自分がどこに立っているのかすら分からなくなってしまって。30歳ぐらいになる頃にはこれは結構マズいな、という感じでしたね。

私がもともと興味を持っていたのはソーシャル・マーケティングやコーズ・リレーテッド・マーケティングと言われるような、マーケティングと社会貢献の掛け算を行う領域です。広告代理店に入ったとしてもコマーシャリズムだけをやるのは違うというか、得られた利益を社会に還元するマーケティングに携わりたいという思いがありました。そうした領域に関わるようになり、ある音楽メーカーとの被災地復興の仕事で坂本龍一さんなどさまざまなアーティストの方と出会ったのですが、彼らに価値観を大きく揺さぶられたんですね。やっぱり、ビジネスでは越えられない壁がある。お金だけでは到達できない話があるんだと気付かされた。これはもう、自分が心から興味のある領域をもう一度勉強し直さないと、これから先、彼らのように情熱を燃やして仕事することなんてできないんじゃないかと思ったんです。

──その後、広告代理店を休職して向かった先が、ロンドン大学のゴールドスミス・カレッジでした。この大学で文化起業論(Culutual Entreprenurship)を選択した理由を教えて下さい。

パフォーミングアーツでも、ヒップホップでも、ダンスでもペインティングでも、アートや文化的な活動全般におけるプラクティスを生活の中心に置いて生計を立てる人が増えると、文化的・経済的に豊かな社会の実現につながるのではないか。そういう全体像が描ける言葉だと思えたんです。どのような方法論や社会システムがあれば、文化や芸術に関わる人たちが、好きなことだけで生きていくことができるのか? というのは代理店にいた頃からの謎だったんですが、そこに解を見出すような講座に見えました。

──具体的にはどういった内容の学問なのでしょうか。

社会文化政策と言われるものが多かったです。たとえばヨーロッパには税金などの公的資金が個人及び団体の芸術文化支援・振興へと割り振られやすい仕組みがあることで、パフォーミングアーツで生計を立てられる人が多いという実態があります。論文ではアメリカ、日本、ヨーロッパの3つの地域の文化政策を比較し、日本の文化政策と文化の多様性を再考しました。ただ、このときは自分の知識欲求を満たす論文にしかならなかったですね。勉強の意味がよく分かっていなかったというか。

──とにかく知識を得るという感覚でしょうか?

そういう感覚が強かったです。10年働いたあと再び学生になったあのとき、「学ぶ」とは「新しい知識を得ること」だと思っていましたから。立てた問いに対してさまざまな角度から検証し、切り込んでいく──学問にはそうしたストラクチャーがあると、1年間の修士を通じてようやく分かった。そして、掴みかけた勉強の手法をより突き詰めたいという欲求が出てきました。意を決して休職して家族と一緒にロンドンに来たのだから、自分にしか問えない問いを立てないと意味がない……となってきたわけです。

当初はその「自分にしか問えない問い」が「文化」に関わることだと思ってたんですが、文化というのは相当形容し難いことばじゃないですか。もう少しブレイクダウンしていくと、韓国で生まれて日本に来たという自分の移民的背景がことばの根っこにあったんです。つまり、私にとっては国籍や民族、言語を越えることが「文化」の示すところだった。

大学院のプロジェクトの一環として、「1854media」の資金調達・ビジネス開発に参加。

そんなときに知ったのが、ブリストル大学にあるMigration and Mobility Studiesという学部です。直訳すると「移民・移動学」。社会学なので、さまざまな領域の学問が関係しています。一般的にグローバリゼーションというと、経済や情報を繋げ、人・モノを動かすことで世界を発展に導くというポジティブな側面が切り取られがちですが、その波の中で不利益を被っている人たちがいる。それが、難民や移民労働者──自分の地を追われ、居場所がなくなってしまった人たちであり、Migration and Mobility Studiesが目を向けるのはこうした地球規模の社会問題です。

この学部の奨学金公募に「社会問題をクリエイティブに解決する方法を探るため、アジア地域で文化のシンクタンクを作りたい」という主旨で応募したところ通過して。この手応えは結構大きかったですね。トップ大学ではないにしても、世界中から応募がある中で、自分なりに考えたことを認めてもらえたことが嬉しかった。1年目は、実際のところはビジネスの世界から抜け出すための時間だったのかもしれません。ブリストルでの2年目から、ようやく自分の原体験から掘り下げた勉強が始まりました。

「ただ少し違っているだけ」──異文化コミュニケーションの原点

──ご自身の移民的ルーツについて、可能な範囲で教えていただけますか。

出身は韓国・ソウルです。私が0歳で、姉が2歳ぐらいのときかな。ある日両親が日本へ仕事に誘われて、ふたりで10分ほど相談して行くと決めたみたいです。当初は3年程度のつもりだったようですが、それがずるずると伸びて、帰化しないまま今や30年くらい日本にいます。よくあることだと思いますけど。

韓国系の名前を持って日本で生きていると、いわゆる在日コリアンとして括るような見方をされがちでしたが、私の両親は日本と韓国・朝鮮半島の戦争や歴史的背景とは関係なく、80年代以降にビジネス目的で日本に来ただけで。なので、こうしたトピックでよく語られる植民地 – 非植民地の力関係や非差別意識を私自身はあまり感じてはこなかったんです。中学生の時、キムチの話で絡まれてムカついて殴りかかったりとかはあったし、日本人の韓国への眼差しってどうなんだろうと思ったりすることはあったんですけど、幸いにも、フラットに「たまたま違う人」として接してくれる人が多かった。

──差異を否定的に扱わなかったんですね。

それが異文化コミュニケーションの原点にもなっています。たとえば小学校の音楽の時間に「今日は金君が『アリラン』(韓国の歌)を紹介してくれます」と前に立たせてくれたり、国語の授業で「金君がハングルがわかるから、今日はハングルをやってみよう」ということがあったりして。ただ少し差異がある、他の人とはちょっと異なる眼鏡で社会を見ているという扱いをしてくれたんです。お気楽だと思われるかもしれませんが、私は日本で多く語られるコリアンの文脈とは違う、という意識で育ってきたと思います。

──再び話題を戻しますが、ブリストル大学での修士論文「Portraits of Japan」では「移民心理学」を扱っていますね。

例えば私には日本と韓国という民族的な要素がありますが、血筋とか出身地だけじゃなくて、人間はいくつもの文化的要素を併せ持っていますよね。それらがジェンダーに表出する人もいれば、経済的な感覚に表れる人もいると思いますけど、いずれにしても、心みたいなものは一筋縄に語れるようなものじゃない。黒が好きと言っても、そこには青っぽい自分や白っぽい自分も混ざっていて、人間というのはそうした複合体だと思います。

私の場合はそれが民族性や国籍、言語によって形作られている部分が多いのですが、ふと他の人はどうなんだろうと気になって。そこで、いわゆるハーフとかダブルと言われる、文化的複数性をもって生きる若い方たちを取材し、心の中で抱えた葛藤やその乗り越え方を聞いていきました。それが「Portrait of Japan」という、ふたつめの論文です。自分と同じような境遇を持った人たちを観察・分析し、次世代に残せるようなエッセンスを抜き出す、というものでした。

生活と創作の相互補完

──その後、帰国して始められたBABELOという事業体について教えてください。

BABELOは、自分の活動にラベルを付けたような感覚です。「ラボ」と「ルーム」という2つの構造があり、ラボは研究室、ルームは相談室のような位置づけ。この両輪で動いていくことが大事だと思っています。

先ほどのカルチュラル・アントレプレナーシップに繋がるのですが、ロンドンに居た頃に住んでいたハックニーというエリアに好きなアンティーク家具屋があって、やる気のなさそうな店主がやたらいいセレクトの家具を扱っているんです。話してみると、彼はアンティーク商以外にも作品制作をしている。むしろ作品をつくる自分がまずあって、他方にリサーチ活動としてのアンティークコレクションがあり、それが商品にもなっていると。私には彼のそんなあり方が「創作」と「研究」がうまく循環する好例として映りました。椅子作りは彼の人生に欠かせない。でもその創作の根源には、ものを集め、人とコミュニケーションを取り、それらを売って収入を得るという活動がある。彼の中では、どちらも同じくらい大切なんです。

クリエイターやものづくりをする人たちに対して、純血主義を強要するような視線ってあると思うんですよ。人生を掛けて、他を犠牲にしてまでなにかに打ち込む姿勢こそを美しく尊いものである、というような。マスメディアではその極端な事例が紹介されていたりもしますよね。でも冷静に考えると、そうした一部のアーティストでなくとも、誰だって大なり小なり自分らしい活動をしていたいわけで、だからこそ彼のような好循環をデザインできることがとても大切ではないかと思いました。自分らしい活動のためには資金が必要ですが、その資金作りの手段すらも活動に紐付いているという。

BABELOはまさにこの循環を目指していて、「ルーム」では主にクライアントに向けて能力を提供する一方で、「ラボ」では自分の中のクエスチョンからリサーチ活動や表現活動がスタートします。まだまだ始まったばかりですが、イギリスにいた頃から描いていた姿を少しずつ形にしていて、たとえばハングルと日本語の横断として、原研哉氏がディレクターを務める「HOUSE VISION 4 2022 Korea Exhibition」書籍出版の翻訳プロジェクトに参加しました。ほかにも公募による写真アワードのプロジェクト「Portrait of Japan」などは、「ラボ」の実績としています。

──純血主義に関連して言うと、日本では明確な目標を立て、その達成のために自分を追い込む禁欲的なさまをプロとする向きが強いと感じます。アイデンティティにしろ仕事にしろ、複数の属性に寄りかかりつつ、常に現実と折衝しながら暫定的な回答を見つけ続けるあり方も否定したくないのですが、そうした雑多で不明瞭な状態はなかなか受け入れづらいものなのかなぁ、と思ったりします。

これは面白いトピックですよね。仕事や生き方における複数性や多層性、オルタナティブ──もっと言うと、モビリティ(流動性)とも言えそうです。そういえば、2022年7月に閉館した岩波ホールで放映されていた、イギリス人のジャーナリストであるブルース・チャトウィンのドキュメンタリー『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』を観てきたんですが、この作品の主題もノマディズム──動き続けることや、歩くことでした。

移民や流動性といった学問に触れた身として今の話から思うのは、純血主義や一本化、あるいは外部の者への排他的な態度というのは、定住者の目線だということです。ある友人はそれを「フラット」と「リキッド」って大別していて、フラットはいかに変化しないかをものさしに測るのに対して、リキッドは動くこと、変化することを美とする。要はものさしが違うんですよね。未だに日本に「定住者」の目線の語りが多いことは、島国という特性が関連しているのかもしれない、と考えてしまいます。

──BABELOは「多文化共生と移民の問題をクリエイティブな方法で解決する」と掲げています。人文領野での実践と知見が、社会課題に対してどのような影響を与えると考えていますか。

人文科学の領域の知見や思想が社会問題をどう解決するかについては……かなり難題だとは思います。医科学のように薬が処方できるわけでもないし、手に取れる具体的な方法を提示できないから、抽象的だと思われるでしょう。でも、アートや音楽、映画にだって、薬のような要素があるはずだとも思うんです。心に葛藤を抱えている人がアートに触れて新しい視点を得たり、音楽を聴くことで元気が出たり、気づかされたりすることがある。BABLEOの活動も、そうした啓蒙的なものになりそうです。たとえば、日本は単一民族的土壌が強く、ヘイトスピーチなどを含め差別は根強く残っていますよね。この問題に対して人文領域に関わる身として何ができるかを考えたとき、私なりの答えのひとつが「Portraits of Japan」でした。

これは、いわば「世界報道写真展」の日本版と言うと伝わりやすいでしょうか。一般公募によって世界中から集まったポートレート写真には、日本の地方都市で制服を着ているブラジル人の女性や、脇毛を見せて寝そべる女性など、多様な人々の姿が写されていています。こうした作品を提示することで、同じ問題意識をもった人たちがつながったり、再考する機会を作っていけたらと思っています。

金 聖源

1985年ソウル生まれ東京育ち。2007年より2019年まで、広告会社にて自動車/音楽業界のアカウントディレクション、クリエーティブプロデュース、新規事業開発、イノベーションリサーチへ従事。2019年にロンドン大学ゴールドスミス校にてMA:文化起業コースの修士号、2020年にブリストル大学よりThink Big 奨学生としてMSc:移民&移動学で二つの修士号を取得。帰国後の2021年、東京を拠点にBABELOの活動を始動。2022年現在、英系新聞社の戦略ユニットに所属。文化とビジネスの間で、日々活動している。
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