その価値ある物質にはなぜ価値があるのか: 本多沙映「Anthropophyta 人工植物門」

Text: Kentaro Okumura

Behind the scene___6.16.2021

造花が植物学上で正式に「植物」として認められた―。日本とオランダを拠点に活動するジュエリー作家本多沙映による『Anthropophyta 人工植物門』(トーチ・プレス)は、そんな設定に基づいて作られた、セミフィクションの植物図鑑。タイトルの「Anthropohyta(アンソロポフィタ)」とは、造花の植物分類名として本多が与えた造語である。本作で本多はレオ・レオニの空想博物誌『平行植物』を引きながら、人間の意図によってつくられ、水も光も求めず佇む造花を “未開の植物群”としてつぶさに観察。各国で採集した約70枚の葉っぱを学術的な体裁でまとめた。

プラスチックごみと自然物が混ざった新種の石に着想を得た『EVERYBODY NEEDS A ROCK、そして人工真珠をユニークな形状へアップデートした「Tears of Manmade」など、本多の作品には人工物と自然物を明確に区別せず、物質そのものの価値の再検討を促す姿勢が通底する。本稿では、そんな本多のバックグラウンドと制作スタイルについて尋ねる。

ほんとうの付加価値はモノの観察から始まる

『人工植物門』より。「模倣植物科」や「幻想植物科」など、独自の分類で仕分けられている。

著作『人工植物門、拝読しました。写真家の、それもドキュメンタリーよりの方の作品かなと思いながら読み進めると、プロフィールに「ジュエリー作家」とあって驚きました。まずは簡単に来歴を教えてもらえますか。

もともとオランダ、アムステルダムのヘリット・リートフェルト・アカデミーのジュエリー科に留学し、そこでコンテンポラリージュエリーを学びました。コンテンポラリージュエリーというのは、ファインジュエリーで使わる貴金属や宝石などの素材の価値にとらわれず、自由に素材を使ってコンセプト重視でアートジュエリーを作っていく領域です。

私は小学生の頃から、図工の授業で使用済の牛乳パックやゴミで何かを作ったり、安いリサイクルショップや中古品のお店で宝物を探すのが好きでした。アップサイクリングのデザインや、価値のないものにどう価値をつけるかに興味があった。なので、自然とコンテンポラリージュエリーの動きに惹かれて、オランダに勉強しに行くことにしたんです。

たしかに「ジュエリー作家」と名乗ってはいますけど、私はどちらかというと「物の価値の付け方について考える」アーティストかなと思います。ジュエリーには金銭価値や感情価値など、さまざまな「価値」が色濃く伴うので、ジュエリーという形態を起点に作品作りをはじめることが多い。そのため「ジュエリー作家」とも名乗っている、という感じです。興味があれば何でもリサーチして、プロジェクトごとに合った発表形態を選んでいます。

オランダでの主だった活動はどのようなものですか?

活動は毎年違って、2020年はオランダの「Creative Industries Fund NL」という財団の若手デザイナー助成金を活用して、造花とイミテーションパール(人造真珠)のプロジェクトを進めていました。大阪の和泉市には、イミテーションパールを製造する歴史ある工場がたくさんあって、そこでは職人さんが工芸品のように一つひとつ大切にフェイクの真珠を作っています。

 photographer: Sae Honda

この「フェイクを作るクラフト」っていうのは、なかなか世の中からは着目されづらいもので。フェイクだから当然本物より価値は落ちますが、この点を逆手にとって、人の手垢が分かるような人造真珠のジュエリーを作り、プロダクトとして販売しています。ずっとアートとしての作品を作ってきましたが、「価値」について取り組んでいるのであるからこそ、販売することで人に使ってもらえると意味が変わってくるのではないか、というねらいです。

イミテーションパールは、ガラスやプラスチックでできたビーズの核に、パールの塗料を何層にも重ねて作られています。核は真珠の模倣なので丸だったり、淡水パールのような形で、その上にコーティングを重ねていくわけですが、その「核」の形は何でも良い。そこでこのプロジェクトでは、真珠のようなきらめきがありつつも、真珠ではない。そんな違和感のある装飾品を作ろうとしました。「真珠自体をデザインしている」という感覚です。

『人工植物門の巻頭言ではレオ・レオーニの『平行植物』からインスパイアされたと言及されていますが、図鑑というパッケージで人工植物にアプローチしたのはなぜでしょうか。

モノに価値を見出すときには、モノに対する観察が大事だと思っていて。今はリサイクルやエコと言われて久しいですが、ただリサイクルされていればいい、という感覚にはどうしても疑問を感じてしまいます。モノ自体が素敵になっているのではなく、リサイクルしたという事実ばかりが押しつけられ、生産側がその価値を積極的にアピールする風潮がありますよね。そんな中で、モノにほんとうの付加価値をつけていくのであれば、それはモノを観察するところから始まるのではないか――これが、私の作品の根底に共通する、ほのかなメッセージなんです。

イタリアに戻ったレオ・レオーニが「想像上の植物学」として構想し、第一級の学術書の体裁で刊行した『平行植物』(工作舎)

もともと造花という存在は少し気になっていたのですが、じっくり一つひとつ見ていくと、印刷がずれていたり、葉脈がずれて付いていたりと、大量生産の過程で起こる人為のエラーが植物のキャラクターとして現れていて、生きもののように見えてくることがありました。植物に多様性があるように、人工物にも人間がコントロールしきれない部分によって多様性が生まれている。こうした人工植物の生態をセミフィクションとして図鑑にまとめることで、このおもしろさがシンプルに伝わるのではないかと思ったんです。

造花の採集はいつ頃から始めたのでしょうか。

2018年くらいから少しずつ始めました。目を配ってみると、意外と道端にぽろっと落ちていたりするんですよ。カフェやレストランにあった造花をもらったこともありますし、オランダにはお墓に造花がよく置いてあって地面に落ちているので、そういうのを拾ったりしながら……1年以上集めましたかね。

不思議な目で見られそうですね。

そうですね。特にお墓だと「何をしているんだ!」って言われかねないので、ごみを掃除しているふりをして歩いていました(笑)。

中国・広州にある造花の製造工場への取材もされていますが、どのように進められましたか。

「世界の造花の約90%は中国で作られている」とどこかで見たことがあって、中国のAlibaba.comで造花を調べたら、ほとんどのサプライヤーや工場が広州にあることが分かって。そこでアリババを通して工場にコンセプトを説明したんですけど、結局英語では全然意図が伝わらず……工場の方には「アーティストが自分のジュエリーショップをオープンするためのデコレーションを探しに来る」と思われて、丁寧に営業してくださっちゃいました(笑)。ただそのおかげで、ファクトリーの中の生産ラインや、巨大なショールームでさまざまな種類の造花を見せていただけて。工場で働く人たちにも生活状況などについてランチをしながらインタビューできたので、それらも本の中に少し織り込んでいます。

造花は世話をする必要がなく、彩りや癒やし、華やかさといった機能だけが残された、人間にとって都合の良い存在です。自然物がない、あるいは生息しづらい(資本主義が行き届いた)場所だからこそ求められる。巨大なモールなんかはその典型例だと思います。同書に「アンソロポフィタの多様性は人類のニーズに寄り添い発展してきた」とありましたが、造花の需要と社会的状況や経済に関連性があるのでしょうか。たとえば、現在は中東諸国からの注文が多いそうですが。

そうですね。中東では特に今大きなショッピングモールが増えていて、室内に飾る大きなヤシの木などのオーダーが多いようです。中東で造花の注文が増えている一番分かりやすい要因として、気候面があげられます。現地で育たない植物でも、たとえば本来の桜よりも巨大で、フォルムも違う「桜」の木をたくさん作っていたりします。ヤシの木も本来よりかなり高さがあり、葉の部分が全体の高さに対して小さくて少なく、アンバランスな形になっていました。

このように、植物の形は人間のニーズによってアダプトされます。「背を高くしたい」「花をもっとピンクにしたい」などという人間の欲望や傲慢さが形状や色に表れる。求めたい部分が強調されすぎて、おかしなフォルムになっているものもあって、私が訪れた中国の造花の会社のオフィスには、ヤシの木からさらに電球が出ているものや、噴水になっているものなど、二次産物とも言うべき機能が加わった造花も生まれていました。それらだけでプロジェクトを作りたいほど面白く、不思議な道具でしたね。

本多さんは環境保護をわかりやすく啓蒙するのではなく、人工石を美しいマテリアルとして愛でたり、造花が生態系として認められた設定で図鑑を制作するなど「人工」と「自然」を対立軸に置かない姿勢を感じます。

もともと環境問題を考えて作品を作ったわけではありません。それよりも「ゴミをいかに面白いものにするか」に意識があったので、そういうメッセージはむしろ盛り込まないようにしています。これまで人間は、自然物と人工物を相反するものとして据えてきました。しかし、人新世ともよばれるこの時代、その境界線はかなり曖昧になりつつあるのではないかと、ハワイで見つかった「プラスティグロメレート」* という石を見たときから思っています。プラスチックはすでに土壌に戻り、自然物と混ざり合って新しい「自然物」を形成している。アーティストとしてメッセージを伝えたいというよりは、そういった現象を俯瞰で見て記録する考古学者や考現学者のような立ち位置でやりたくて、だからフィクションの形式を借りて植物図鑑や石で表現しているんだと思います。

* 2014年に見つかった、プラスチックが燃えてできる新種の岩。

『EVERYBODY NEEDS A ROCK』より。プラスチックゴミと自然物が熱によって溶け固まり生成された石は、生分解されずに未来に残り、地層に記録されていくという。遠い未来では、だれかがこの石を大切に磨き上げているかもしれない――そんな想像がプロジェクトの発端となったという。
photographer: Chizu Takakura

あくまで観察者というイメージでしょうか。

そうですね。俯瞰で見ることによって、モノの価値がフラットに見られると思っていて。人類は歴史を通して、常に貴金属や宝石のような限定的なものばかりに金銭的価値を与えてきました。しかし、さまざまな素材や物質にあふれるこの世界において価値を与えるべき対象はもっと多様性があってもおかしくないはずです。さまざまな素材や物質を同じ土俵の中でフラットに価値づけをしていくことで、私たちの価値観はより豊かになり、限りある資源のアンバランスで過剰な搾取にもブレーキがかかっていくと思います。既存の価値体系にやんわりと疑問を投げかけている、という感じでしょうか。

最近はとくに自然物の見た目をした人工物に関心があって、そういった素材の製造の裏側や歴史を見てみたいなと思っています。本物に対するフェイクは分かりやすく価値が劣るものですが、そこにある「本物に似せるための努力」は付加価値になるはずですし、フェイクを作る過程で新しい「本物」が生まれる場面もあると、フェイクの観察を続けてきて思うようになりました。造花にしても、人間の手が起こしたエラーが面白い効果を生んだり、ヤシの木に追加された照明のように、造花をもとに派生したプロダクトが生まれるーーそんな、自然と人工が混ざり合った新しい分野を探求していきたいですね。

本多 沙映

1987年生まれ。日本とオランダを拠点に活動するジュエリー作家/アーティスト。2010年に武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科を卒業後、2013年からアムステルダムのヘリット・リートフェルト・アカデミーのジュエリー学科で学び、2016年に卒業。その後、国内外でジュエリーやアート作品を中心とした作品を発表するほか、コミッションワークも手がけている。
作品はアムステルダム市立美術館 (Stedelijk Museum Amsterdam) と、アムステルダム国立美術館 (Rijksmuseum Amsterdam)に永久所蔵されている。