誰もが経験したことのある時間、見たことのある風景: 田島太雄(映像作家)

Text: Kentaro Okumura

Directors___7.30.2021

幼少期に観たアニメのレーザーディスク、PCエンジンのゲーム、西荻から四谷まで走った深夜の自転車通勤、VJ終わりの朝のファミレス、始発電車―。CGと実写を掛け合わせた演出から、日常の見逃してしまうような一瞬を捉えた風景作品まで手掛ける映像作家・田島太雄の半生を訊く。

ズームレンズによって見たい風景を切り取れるようになった

最新作は小西遼によるリモート音楽プロジェクト・TELE-PLAYによる楽曲「prism」のMVですよね。本作も含め、作品の中に風景を多用されますが、これらは撮り溜めた素材ですか?

旅行や地方ロケでは基本的にずっとカメラを持ち歩いていて、いいなと思ったときに回しています。5、6年前くらいからかな。なので、きれいなんだけど使い道が分からない素材が溜まっていて、TELE-PLAYのお話をいただく前から1つにまとめたいなとぼんやり思ってはいました。一番古いのがインドの映像で、6年ぐらい前に撮ったやつです。逆にここ最近の素材は全然入ってないんですよ。

TELE-PLAY『prism (feat. 原田郁子, ROTH BART BARON, Seiho & Ryo Konishi)』

まさに旅行者のような当事者性の低いトーンが特徴ですが、ご自身はこの辺りに関して意識的ですか?

いつも俯瞰で見ている感じはあります。素材もそうだし、人の輪があるときでも全体を引いてみている。これは好みだと思いますが、僕は演技したものよりは、ドキュメンタリーのほうがおもしろいって思うタイプで、被写体にカメラで撮っていることを意識させるよりは、目で見ているものが直接伝わるような映像が好きなんです。

ふと「あ、きれい」と思う瞬間って、誰にでも必ずあることですよね。動物だったり、空の雲の形だったり、光の落ち方を見て、あっと思うようなことが。このミュージックビデオでも、誰もがよく見ているような、きれいと思う瞬間を一つひとつ重ねていくことを意識していた気がします。

とはいえ、何に使うかわからない映像を記録し続けることはフェチにも思えます。例えば子どもの頃から、記録やアーカイブが好きだったり、ビジュアルに対してこだわるところがあったと思いますか?

いや、どうですかね。僕が本格的に映像を撮り始めたのは、CanonのMarkIIが登場してからなんです。ズームレンズ(100ミリや200ミリ)を使うようになってから見え方が全然変わって、切り取れることの面白さに気づいた。フォーカスしたい部分に寄って撮るようになりました。

風景って、一部分だけものすごくきれいな瞬間があるじゃないですか。そういうときに、見せたいものをちゃんと画面の中に配置して、見せたくないものを排除できるのがよかったんですね。20代の終わりぐらいとかかな。Vimeoに発表した「Night Stroll」が、Mark IIを使って初めてつくった作品です。

〈Night Stroll〉

私もこの作品で田島さんを知りました。あの作品以前、田島さんは何をしてる人だったんですか?

何してたんだろう。ふらふらしてましたよ(笑)。テレビゲームがすごく好きで、ゲームデザイナーになりたいって思ってたんですけど、CGも好きだからと3DCGの会社に入って、そこで健康番組のCGをつくる仕事をしてました。

健康番組ですか。

『午後は○○おもいッきりテレビ』ってご存じですか? 番組の中で「血管の断面図で糖が分解されて」みたいな説明シーンがあるんですけど、そういうCGをやってて。その頃は映像もCGも好きだけど、がっつりそっち方面でやっていくイメージがあまりありませんでした。

社会人になって、そこそこのお金を自由にできるようになると、それだけで楽しかったりするじゃないですか。業界内で自分のポジションをどう築くかよりも、日々自堕落に消費すること自体が楽しい。そういう時期だったんだと思います。それに自分のスキルや体力で、白組とかがいるような業界でどうにかできる気が全然しなかったんですよね。

もともとはゲームデザイナーになりたかったんですね。

そうだったんですけど、1回(面接に)落ちてしまって。ゲーム内の建物や背景美術をつくる人になりたいって思っていたんですが、やっぱりあの仕事は圧倒的な才能がないとできない。落ちた結果、ひとまず就職して地道に経験値を積みながら業界になじもう、ということでCG会社に入ったわけです。

では、経験を積んでいつかはゲームデザイナーに……という目論見だったんですか。

いや、その記憶が曖昧なのですが、CG会社に入ってからは徐々にミュージックビデオとか映像表現にはまっていったんです。もともと、たとえばピーター・ガブリエルの『Sledgehummer』みたいな変な映像も好きだったんですけど、ちょうど『ディレクターズ・レーベル』とかが出てた時期で、そのDVDをずーっと見ていました。自分が関わっているCGという業界の先に、最新技術を自由自在に使って面白い表現生み出すミシェル・ゴンドリーとか、スパイク・ジョーンズとかクリス・カニンガムがいるんだと……だんだんと「映像」が自分の路線上にはまってきました。

深夜の自転車から見た風景を反映した『朝がくるまで〜』MV

少し時系列を戻しますが、田島さんのお父さまは『ゴースト・イン・ザ・シェル』や『機動警察パトレイバー』のロゴを手掛けたグラフィックデザイナー、田島照久さん* ですよね。たとえばアニメーションの道に興味をもつ環境でもあったのでは?

まぁ、そういう意味では英才教育かもしれません。アニメのレーザーディスクとか大量にありましたから。大好きです、アニメは。日本のアニメから、ユーリ・ノルシュテインの『霧の中ノハリネズミ』とか、クレイアニメの作家さんのオムニバス作品とか……『ウルトラマン』とか『ウルトラセブン』のレーザーディスクも、ほぼ全巻あったので、一日中見ても飽きませんでした。当時からもう、手描きのアニメとか特撮とか、ちょっと変わったクレイアニメとか、手の込んだ映像が好きだったんだと思います。

*なお、田島照久氏による初の展示イベント「PATLABOR artworks展」が2021年8月8日(日)~9月5日(日)、渋谷マルイにて開催される。

とくに印象に残っている作品はあったりしますか?

たくさんありますけど、そこは皆さんと一緒だと思いますよ。『AKIRA』とか、『パトレイバー』の劇場版もすごく好きです。歳をとってからめちゃくちゃ面白いなって思ったのは『王立宇宙軍オネアミスの翼』。ガイナックスが最初に作った、バブルだったからこそできたようなアニメなんですけど、監督がたしか当時25、6歳。制作陣も20代半ばの若い人が集まっていました。

高校のときは、なんとなくゲームなどのグラフィックデザインに関われたらいいな、自分に向いていそうだなと思っていましたね。Photoshopでドットを打つ練習とかしてました。

そこはグラフィックデザインといってもゲーム寄りなんですね。

ただ、あれも才能がないとできない(笑)。少しドットが細かくなって色数が増えたぐらいから、ゲームは絵としても好きでした。1987年頃だから、多分8歳とか7歳とかですかね。単純にきれいな絵を好きに動かせる面白さもあったし、「限られた条件下でのデザイン力」という意味で、スーパーマリオなんかすごいじゃないですか。ドットだけなのにあんな立体感や表情を作れるなんて。その後はスーファミ、そしてポリゴンの時代に入っていくわけですが、やっぱりビジュアルに携わる上で、最初にゲーム業界を目指そうとしたのは必然的な流れかな、という気がします。

今思っても、あの時代の家庭用ゲーム機の発展はすごいですよね。ゲームにかぎらず、映像表現でもあらゆるジャンルで実験的な発展があった時代でした。PCエンジンに「R-TYPE」っていう、当時としては一番グラフィックがきれいなシューティングゲームがあって、今見てもかっこいいんですよ。たしか7歳ぐらいのときに地方のゲームセンターで見たんじゃなかったかな、とにかく衝撃を受けました。

Tozai Games「R-Type Dimensions EX」より、2Dグラフィック版。

これ、明らかに『エイリアン』も入ってるし、ガンダムっぽさも感じられる。昔のゲームにありがちな、貪欲に色んな要素を拾ってそのまま入れ込むダイナミックさがあるんです。今やったら怒られるでしょうけど、それらを差し引いても光るものがあって。特殊なゲームシステムも含め、すべてにおいてエポックメイキングなタイトルなんじゃないかなって思います。

田島さんの作品には「夜の街」が頻出しますが、これには理由があるのでしょうか。

先ほどお話ししたCG会社時代、四ツ谷にある事務所に自転車で通っていて。当時は西荻窪に住んでいたんですけどね。出社時間のルールがゆるかったから、会社に2泊ぐらいして深夜に家に帰ったり、逆に夜から事務所に向かうこともありました。

西荻窪から四ツ谷だと、かなりの距離ですよね。

そうですね。飛ばしても片道50分ぐらいはかかったと思います。歩いて帰ったりもしてましたよ。3、4時間ぐらいかけて中央線の高架下をずーっと歩いて。そのときに――今はもうやっちゃいけないことですけど――音楽を聴きながら、青梅街道とか善福寺川を自転車をこいだりしていて、その体験がすごく好きだったんです。無心で自転車をこぎながら音楽聴く、あの感じ。それこそ、本当に僕のミュージックビデオの世界観です。とくに善福寺川沿いを夜に走るのは気持ちよくて好きでした。

そのなかでもtofubeats『朝が来るまで終わることのないダンスを』では、生活感のない都市風景が切り取られています。

このビデオでは、都市の中でもオフィス街のようなシャキッとした、清潔な気持ち良さを意識しています。深夜の自転車徘徊で、丸の内辺りの整備された誰も居ない空間が、シンプルに美しいなと思っていました。今考えると、なんであの辺にいたのかよく分かんないですけどね。山手線を逆方向に乗って東京駅で降りて、電車がないから歩いて帰る、みたいなことだった気がします。

これ、もともとはVJなんですよ。tofuさんが森高千里さんとサマーソニックに出演するとき(※2014年)、この曲にVJを入れたいってことでお声かけいただいて、そのときのお題が「夜の街」でした。先輩のディレクターが撮りためた街の素材を編集するなかで、3Dレイヤーという、映像に対してズームアップしたりズームアウトさせるモーションをかけたところ、意外と見たことのないものになって。これは面白いなと、サマソニの後に僕から「この映像でMVを作らせてほしい」と持ち込んだんです。

VJ中の田島さん。約6〜7年前

完成したミュージックビデオを観て「この感じ、すごく分かります」って言ってくれる人が多くて、やっぱりこれも僕だけの感覚じゃなく、きっとみんな経験していることなんだろうなって思いました。クラブに行った帰り、明け方のホームで始発をじーっと待つ感じ。あれです。20代前半の頃は月2くらいで知り合いのイベントのVJをしていて、明け方にVJの友達とファミレスで始発が出るまでダベったりしてたんですけど、わかりますかね。あの何の生産性もない不毛な時間。でも、青春ですね。

「Rayons ft. Predawn – Waxing Moon」などがわかりやすいですが、実写にモーショングラフィックスをあわせて仮想現実を見せる手法もよくとられていますよね。

それをずっとやり続けてきたからこそ、TELE-PLAYのときにはそういうのを一切やらずに、絵力だけでMVを成立させられるか、という挑戦でもありました。思えばパソコン音楽クラブ『reiji no machi』のときから、撮影技法こそ特殊ですが*、映像そのもののダイナミックさを風景だけで出せるのかというテーマに向かっていた感じがします。このときはまだ演者さんが居ましたが、今回は完全に風景だけ。最近はそういったシンプルな演出に向かっているのかもしれないですね。

*撮影技法に関しては NEWREELの記事「摩訶不思議なカメラワークが誘う夜中の散歩MVパソコン音楽クラブ「reiji no machi」田島太雄監督&右左見拓人TDインタビュー!」に詳しい。

田島 太雄

東京のビジュアルデザインスタジオTANGRAMに所属するディレクター、兼、映像作家。3DCGソフトとモーショングラフィックスを活用した映像作品「Night Stroll」、tofubeatの「朝が来るまで終わる事のないダンスを」MVを撮影するなど、光を巧みに駆使した表現で何気ない日常の風景を一変させる世界観が特徴。